マンションやら商業施設ならともかく、建て売り一戸建ての強度計算なんかもうめちゃくちゃだろうな(ちなみに今まさに住んでますが何か?)、とか政府必死だな(でもクレーム対策としては民間よりはるかに上ですな皮肉なことに)などと外道な感想しか出てこない一連のアレですが、本日ついうっかり「ヒューザーのNo.1戦略」の似たような書評を二カ所で目にしてしまったので(ちなみにもう一カ所は「[書評]のメルマガ vol.240」より)思わず脊髄反射。
駄本であろうと腹をくくっていた。が、面白かった。なかなか微妙な味わいがある。娑婆の底のほうを少しでも覗いたことのある人なら、どうしてもある種の共感を禁じ得ないものが確かにある。
(極東ブログ: [書評]ヒューザーのNo.1戦略(鶴蒔靖夫)より)
まあ詳細はリンク先で見てもらうとして、一般的に半生記を世に出す人間は成功者、あるいは著名な人間のはずですよね。その際、彼の人生は凡庸なものではない、というか凡庸だと出版する側もされる側も(ライターも!)途方に暮れてしまうわけで、半生記、というのは最初からキョーレツなバイアス(単にヨイショの方向に行くとは限らない)のかかっている本にならざるを得ないハズです。もちろん例外はあります。しかし、それらの本は、対象となる人物と自分との距離についての葛藤や、虚実ないまぜの「語られた言葉」から自分なりの「真実」をつかみ取ろうとする怨念が行間から自然とにじみ出るものになるはずで、まあ、ここで念頭に置いているのは「一条さゆりの真実」あたりなんですが。(ベタですね)
しかも、このライターさんの著書、こんな感じです。(※ここ笑っても大丈夫なトコです)
端的に言って、もし今後このような事件を抑止していきたい、自分はこの手の業者にだまされたくない、と願うのであれば、まちがっても「人の人生のリアリティというのはそういうものだとしか言えない」なんていう感想は出てこないはずだと思うんですけどねえ。あまりにもナイーヴというか、額面通りというか……。ま、「娑婆の底」なんてイキがった表現を気軽に使うカタギな方の半生記は間違っても読みたくないですね。(……つーか私、もしかして釣られてる?)
[蛇足]
評伝のたぐいがどうやって作られていくのか、ということについては、「力道山と日本人」における岡村正史、井上章一らによる丹念な検証が非常に参考になります。また、すこし前に出た、「力道山 大相撲・プロレス・裏社会」と併せて読むと、いっそうコク深い味わいになると思います。(あ、あと、「男の星座」も!)