うわー。夏だからかなあ。ゆるいこと書いてる方がいるなあ。
「レイアウトが似てるが著作権的に大丈夫か」という問いに対しての「ゼロから書いたので大丈夫」に愕然。
いや、それ合ってますから。Webアプリ(が例に挙がってるから乗っかるけど、日本国内のすべての「著作物」に等しく適用されますな)において、著作権が絡むのは主にはコードだけで、デザインには著作権存在しませんから。「デザインはパクり(インスパイヤされますた)だけど、コードは自分で書いたお!」というのは、著作権法上は何の問題もありません。「法律がどうだろうと、どーしてもその根性が気に喰わんのじゃー!」と主張するのは勝手ですが、それが社会的に受け入れられる可能性は残念ながら少ないでしょう。元々の記事のインタビュアーも分かってないのか、確信犯的に釣り質問投げたのか、微妙なトコですな。
いや、主張されてることは分かりますよ。かっこいい見た目、分かりやすいUI、そして隙なくモダンなロジック。実装。理想ですやね。機能も外見も超クールなプロジェクト、やってて楽しいですよね。いいトコだけ持ってかれたらムっとしますよね。「コ、殺シテヤルゥ!」くらい思いますよね。人間だもの。
でもね。「デザインパクるのは許せん!」っていうのは、それは単なるオレルールですから。少なくとも現在の日本ではまだその権利、どこにもありませんから。
(「デザインには著作権が無くて、プログラムには著作権ある」っていう話は、「フォントの著作権?」なぞが参考になるかと。また、この方は特に文章中で著作権に言及されているわけではなく、意匠法ほかの知的財産権もろもろを念頭におかれている可能性も否定はできませんが、それはもはや裁判における戦術レベルみたいな話であって、この手の知財権と言えば、まあ、著作権を論拠にして理論立てするのが常道というものでしょう。)
この手の主張する人って、「これは自分の作品」的な志向がすごく強いんだと思う。そりゃ私もカスミを喰っているわけではありませんから、自分の仕事が劣化コピーされてどっかのライバル企業の飯の種になっていたらムっと来るんでしょうが(幸い、そこまで名誉な事態はめったにありませんが)、そもそも自分の仕事に自分オリジナルなものはじゃあどれだけあるのかと。自分が人類全体の営為にどれだけのものを新たに付け加えたのか、ちょっと思いを馳せてみるといいんじゃないでしょうか。(うわー大きく出てるよヲレ。個人的には、著作権法にある引用の定義「引用元が従となる」っていうのもちょっと無理があるような気がしている。あと、「法人著作」も直感的には落ちないなあ。)
それを言い出すと「真のオリジナルなど存在しない」んだけど、「クリエータへのインセンティブを、社会全体である程度保護しなくてはいけない(そうしないと人類の発展はない……っていちいち大げさだなヲレ)」というバランスの元に著作権は存在していると思うんですよ。
あとこの方は、「デザイン」という言葉を「単なる外見上の見てくれ」という意味で使っているようで、それはそれでまあ私もうっかりそう使ってしまいがちなんですが、そもそもWebアプリいかにあるべき、という設計の段階から「デザイン」は存在しますから。
私が今現在考えている戦略は、日本語における「デザイン」という言葉の再定義を広めて行こう、です。すなわち、「デザインは、見た目にすぎないけど重要である(から尊重しろ)」という俺ルールを主張するんじゃなくて、「およそ情報の再配置という意味において、すべての知的活動にデザインは遍在するから重要である」ということを企業活動を通じて表現していく(ことによって尊重を確保して収入を増やしてパラオに島を買いたい)んです。……ということを、(同業者のはしくれのそのまた端っこにいる者としては)遠慮がちに主張しておきましょう。
# おまけ:この方のブログはなんでトラバ機能ついてないのかなあ。(ちょっとイラっと来た)
# おまけ2:もしかして私は有名人(トラバOKにすると荒れる)にケンカを売っているのだろうか。ガクガクブルブル(夏なのに涼しくなりますた)
# おまけ3:「批判めいたことを言うと、何か意味のあることを言った気になるんだよ」とちょっと前、弊社石塚に言われました。ハイ。言った気になってます。