タイトルは釣り目的の演出ですスミマセン(ニコ動民あたりに向けてあらかじめ謝罪)。
社会に出てから十余年、基本デスクワーク、しかも独りで黙々と、がほとんどで、かつ、わりと自由奔放な職場ばかりなので、ずいぶん長いこと「仕事する=勝手に好きな音を流す」というのが私の中では当たり前になっています。
とにかくメディア交換の手間をかけず、長い間かけっぱなしにしたい、ということで、DAT(たしかLPモードだったらテープ一本で数時間イケたはず)→Macの「CDプレーヤー」アプリで再生(曲名を手作業で登録しまくるとpreferenceが肥大しまくってぶち壊れたりしたなあ。。)→ラジオ(J-WaveとNHK FMのシャベリのない時間帯を狙って。一時は本気で有線放送の導入を考えた)→CD3枚チェンジャー(人からもらってその便利さに開眼)→CD50枚チェンジャー→linux機にmp3放り込んでXMMSで延々再生……と変遷を経て、結局現在はナクソス・ミュージックライブラリーほぼ一本、に収束しつつありました。
選曲やジャンル自体は、自分の音楽嗜好および再生環境の変遷とともにちょくちょく変化していったのですが、かなり初期の段階で、「しゃべり」が入る音が入ると自分は集中できないので、ラジオの類いはほぼ禁止、としていました(当然、TVもNGです)。
今にして思えば、どうしてそのように思い込んでいたのか不思議ですが、高校生の時分に、深夜放送にうつつを抜かして、夜更かしだけして勉強した気分になっていた反省も多少はあったんでしょう。
しかし、ここ数年でPodcastを聞くことが多くなり、偶然ヘッドホンを被りっぱなしにして机に向かっているとき、この「ゴールデンルール」が状況によっては変更可能であることに気づきました。
仕事の種類によっては、むしろ「しゃべり」が入っている方が集中できるのです。
「しゃべりOK」の仕事は、具体的には、こんな感じです。
- 単純事務作業
- 右から左に受け流す系(おんなじルーチンの値だけチョコチョコ変えてくとか。フォーム部品書くとか)のコーディング
- グラフィックデザインの反復作業や画像パーツを切り出すといった作業
一方、「しゃべりNG」の仕事がある、ということも確かで、
- メールの読み書き
- 資料の読み込み
- グラフィックデザインの要素整理や基礎設計
- 請求書書きとか、収益シミュレーションとか、とにかく数字を扱う作業
この手の仕事の場合は、完全にアウトです。
「しゃべりNG」のルールは社会人になってこのかた、ほぼ20年ばかし、それが当たり前だと思い込んでいたので若干混乱したのですが、何度か実験するうちに、これは確実に効果がある、ということに気付きました。
「しゃべり」を処理することで脳には余計な負担がかかっているはずですが、なぜ集中が増すのでしょうか。おそらく、これはしゃべりを解釈する部分と、のーみその「(内的な割り込み処理を言い訳にして)脇道に逸れよう」とする部分が競合しているのではないか、と推測します。つまり、
【「しゃべくりBGMなしのパターン】
- 仕事に集中なう
- 「あ、そういえばこっちのサイトにも同じ問題あったわ。こっちも対応しておかナイト」
- ターミナルをもう一画面開いて脇道の作業開始
- なんかうまく行かなくなって、ブラウザで開きっぱなしになってたブログとか読みはじめる
- 「情報収集」と称してリンクをクリッククリック!
- あれ、仕事はいったい何処へ。。
※このストーリーは一部事実にもとづいていますが、フィクションです
【「しゃべくりBGMありのパターン】
- 仕事に集中なう
- 「あ、そういえば「サーチライト」持ってなかったからこの際「キラキラと輝くもの」買っちゃおうかな〜」
- iTunesに切り替え……その刹那ヘッドフォンから伊集院光の馬鹿歌が!
- 「おっとあぶない……」→仕事に復帰だん
※このストーリーは事実をもとに再構成したものです
このように、耳から入る言語情報は一見脳にさらなる負荷をかけるように見えて、その実「レギュレーター」の役割を果たしているようです。馬が「目隠し(遮眼革)」つけてるようなモノですね。その昔真樹先生(注:梶原一騎の実弟)が、いつもサングラスをしている理由を問われたとき、「ちょっとぐらい曇ってるくらいが逆に世の中丁度よく見えるんだよフフ…」と名言を吐いたとか吐かないとか。ハイ、あんまり関係ないですね。
まあ、科学的な考証はのーみその専門家におまかせしますが、この発見によって作業効率が若干向上したような気がします。自分の脳ミソの使い方もまだまだハックの余地がある、と思った次第(何故か真樹先生口調)。
ちなみに、現在のところ英語のポッドキャストはこのような効果がありません。「英語耳」になっていないことがバレバレですね。